朝会(文化クラブの発表)とさるぼぼ

2019年3月4日 17時15分

 朝会での児童の発表は今日でおしまい。

今日は文化クラブが発表しました。

何を発表するのかな?

突然の「男の勲章」の替え歌と踊り、そしてホワイトボードになにやら貼る、貼る、貼る・・・

クラブの時間に作った、「ピザ」の作り方でした。

次も、歌とダンス、「U・S・A]にのって(無理やりのせて)

白玉団子の作り方でした!

美味しそうな食べ物が紹介されたので、来年度は文化クラブに入る人が増えるかもしれませんね。

 

佐礼谷小俳句教室に来ていただいている先生から、以前、つるしびな(さるぼぼ)を見に来てくださいとご案内をいただいていましたので、見せていただきました。

ご自宅のお店の2階、いっぱいに雛人形とさるぼぼが飾ってあります。

着物の布をとっておいて、全部一人でつくられたそうです。色彩豊かでとてもきれいです。

毎年誕生日に、ご家族の方から贈っていただくひな人形だそうです。となりには、先生がご幼少の頃の雛人形、娘さんの雛人形、お孫さんの雛人形が飾ってありました。

とても素敵です。ありがとうございました。ぜひいろんな方に見ていただけたらと思います。

先生が、資料を整理していたら、「犂雪」とおっしゃる方の俳句がでてきたそうです。

「揚花火」という句だそうです。 不勉強ですので、学校に帰ってから調べてみました。

この方は、松本 萬蔵 (まつもと まんぞう)とおっしゃる方で、明治10年佐礼谷安別当に生まれ、明治39年に収入役に就任、明治44年四に旧佐礼谷村村長となり、以来6回村長に当選、村政に携わったそうです。昭和10年第六回目の任期満了と同時に、再三の勤めを辞退しましたが、村行政の事務の円滑な処理の必要を痛感して、進んで書記として奉職し、病気で登庁をやめるまで40年間、一日の病気欠勤もなく精励したそうです。
 里道の改修、村基本財産林の購入、部落有財産の統一、勤倹貯蓄の奨励、電燈の導入、隔離病舎の移転改築、自給肥料増産の実践奨励、夜学会常会の運営指導等に力を尽くし、産業経済にも熱意を見せ、有限責任佐礼谷村信用購買販売組合を設立し組合長としてその運営に当たったそうです。
 この方は多芸多趣味で、「犂雪」と号し俳句会「むささび会」を発起し句会を開き後進を指導しました(むささび会は今日なお、氏の徳を偲びながら毎月例会が開かれています)。華・茶道、書画骨董の鑑賞、浄瑠璃にも深い造詣があり、割烹にも長じており、終生村を思い公務に一身を捧げた偉大な人物だそうです。

(愛媛県生涯学習センター データベース参照)